都合が悪ければ使い捨てと言い訳するのかな?

そう思ったニュースでした。
 
前回衆院選で初当選した小泉チルドレンですが、
次の衆院選では特に小泉チルドレンとしてのバックアップは無いという報道がされています。
 
当然、小泉氏が選挙の指揮を取るわけでもありませんね。
何か特別な支援があるというのはおかしな話です。
 
その小泉チルドレンの中には、全く対応策が用意されない状況について「我々は使い捨てか」と嘆く人も居るらしいですね。
 
使い捨て。とてもいい響きですね。
さも、自分が小泉チルドレンになったがために、被害者になっているかのようなものの言い方。
小泉チルドレンになれば、いつの選挙でも手厚い支援を受けられると確約でも受けたかのような言い草ですね。
  
そもそも、
先の選挙で自身の実力以上の効果を得たのが「小泉チルドレン」だったのではないでしょうか。
今回の選挙で支援が無いのは、選挙後の活動が
次の選挙にて支援をするに値しないものであったのではないでしょうか。
 
自分に有利な状況になれば、まるで自分の手柄のように振る舞い
自分に不利な状況になれば使い捨てだと喚く。
 
日本中、会社に使い捨てのような扱いを受けている人は沢山いるのです。
その人たちは上記のチルドレンと同じような振る舞いをしているのでしょうか?
もちろん、グチはこぼしてもそれで終わり。
誰が助けてくれるわけでもありませんね。 

明らかに一般の人間とは異なる、とても恵まれた状況にありながら
「我々は使い捨てか」とのたまう。
そんな神経の持ち主に、支援があろうと無かろうと一票を投じる人間がいるのか私は疑問に思います。


 
日本全国、会社から使い捨てのような待遇を受けている人は幾らでもいます。

Yahoo!ニュース・国内、毎日新聞社の記事↓
小泉チルドレン 次期衆院選で逆風「我々は使い捨てか」】
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071126-00000139-mai-pol