事件は会議室でおきているんじゃない

そんな言葉が流行ったけど、それと同じ事なんだよ。
そう妻に説明したニュースでした。
 
全国の小学6年と中学3年を対象に実施された全国学力・学習状況調査(通称・全国学力テスト)が行なわれました。
その結果について47都道府県すべてが成績を公表しない方針らしいという事です。
 
文科省は、学力テストの平均点や問題ごとの正答率などを、国全体と都道府県別に分けて公表。
加えて、以下の方法でデータを提供するらしいのですが。
都道府県教委には各都道府県のデータと管内の市町村や学校のデータ
・市町村教委には各市町村と管内の学校のデータ
・各学校には学校のデータと児童・生徒一人ひとりの成績表
 
これは、個人の成績調査が目的ではないのですね。
ですが一応学力調査という建前があるから、個別にデータを提供しているのでしょう。
その姿勢が今回のような混乱を招いたのではないでしょうか。
それとも、お役人の方々は本当に学力試験をしたつもりなのでしょうか。
  
最近ゆとりという言葉を耳にします。
本来、勉強の詰め込みすぎはよくないから、小中学生には勉強をゆとりをもってしてもらおう。
その代わりに遊びや、人生経験をつむ事で勉強に匹敵するほどの大切な事を得ようという事でした。
でも、単に「常識を持っていない=ゆとり」という意味合いとして使われています。
 
教育問題に詳しくない人にとってはたいした問題ではないでしょう。
ですが、教育現場に通じている知人の話によると
実はそのゆとりが大変な事態になっているのだそうです。
 
もうテストを受けるという時点で、それが崩壊している。
満足に日本語で答えを書けない。
そもそも問題を理解すら出来ない。
テストという時点で投げてしまい、空白で提出したり落書きを記入する。
  
私は親の教育がなっていないからだと思います。
勉強しなくても生きてゆけるとか、自分の生き方を尊重するとか。
そんな事を言って子供を教育できない親が増えているという事もあるのでしょうね。
 
ですから、成績を配布して、ここを間違えだから次はがんばろう。
なんて悠長な事を言っていられる状況ではないのです。
 
日本語で話す事はできるが、漢字を読めない、文章を読めない。
文字をなんとなく読めても、書物・記事を最初から最後まで、きちんと意味を理解して読む事が出来ない。
当然、そこから自分の考えや、推論して回答を出すなんて事も出来ない。
きちんと日本語を理解できないので頭の中で思った事を文字にできない、第3者の分かる日本語で話せない。
 
これでは、日本という国が成り立たなくなってしまいます。
成人しても勤労出来ないのですから。
  
テストの結果を見せる云々よりも遥かに大変な事が現場では起きているのですね。
 
Yahoo!ニュース・国内、読売新聞の記事より↓
【全国学力テスト成績、全都道府県が公表せず】
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071012-00000202-yom-soci